FUN'S PROJECT INTERVIEW


FUN'S PROJECT INTERVIWではクリエイターの方々に独自インタビューを行い、未来のクリエイターの指針になるべく創作の原点や作品への思いを熱く語っていただきます。

#002 プロデューサー 植田益朗さん2018.02.08

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劇場版ガンダム人事でプロデューサーに。植田益朗の見てきたアニメ業界とこれから

“劇場版ガンダム人事でプロデューサーに。”
トレードマークのシャア・アズナブルのコスプレでご登場いただいたのは、プロデューサーの植田益朗さん。 27歳の若さで劇場版『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙』のプロデューサーを務めるなど、長きにわたって活躍なさっていますが、実は3カ月で辞めるつもりだったというアニメ業界。 劇場版ガンダムの大ヒットからアニメ業界のこれからについて語っていただきました。

3ヶ月で辞める予定だったアニメ業界

今日はトレードマークのシャア・アズナブルのコスプレでご登場いただき、ありがとうございます(笑)
まずは植田さんの業界入りのきっかけから教えていただきたいのですが。


実は入ったときは3ヶ月で辞めるつもりだったんです。アニメ業界にすごく興味があったわけでもありませんでした。

そうだったんですね、ではなぜアニメ業界に?


いろんな偶然が重なったんですけど…そもそものきっかけは日本大学芸術学部映画学科に入ったことでしょうか。高校時代、不良してまして大学に行く気はなかったんですが、親にも迷惑かけてましたし、やることも見えない中、時間稼ぎで大学でも、と言ういい加減な動機です(笑)そしてなぜ日大にしたかというと、当時父が日大の職員をしており、職員の家族は学費が安かった。映画が好きだし、芸術学部ならいいか。そんな風に、なんとなく選んだ進路でした。しかし大学の勉強にもすぐ飽き、学生時代は実写映画のアルバイトに打ち込んでいて、制作現場に入っていました。だから4年生になっても一切就職活動はしていなかったんです。高校卒業時、大学卒業時、何も考えていない駄目人間ですね(笑)

卒業してすぐ、大学に遊びに行ったらサンライズ(当時、日本サンライズ)という会社の制作進行募集という張り紙を見かけました。アニメはこれから前途洋々だよと先生に勧められ、あまり気乗りはしなかったものの面接を受けにいくことに。面接官は、サンライズ創立者の一人で制作担当役員だった岩崎さん。「アニメの制作進行ってどんな仕事ですか?」って質問したら、「漫画の編集のような仕事だよ。」と。ピンとこなかったけど。映画の世界の制作進行は知っていたので、多分大変なんだろうなと思いましたね。

そのときにアニメ業界に入ろうと決意されたんですか?


いえ、当時は試用期間の3ヶ月試しにやってみるかというくらいですよ(笑)映画の制作にはいつでも戻れるだろうし、とりあえずアニメをやってみるかと。当時サンライズには作品のポスターがたくさん貼ってありました。聞いたことのない“機動戦士ガンダム3”と描いたポスターが貼ってあって、反対側には“サイボーグ009”のポスター。僕はサイボーグ009のファンだったから、そっちに行きたかったけどガンダム担当を命じられました。なんだぁと思ったけど、まあやってみよう、と制作進行の仕事が始まりました。

なりゆきなのに全てが素晴らしい方向に向かっていますね。


僕は現場では自分ことを「ツキを呼ぶ男」と言っています(笑)しかし素晴らしい人との出会いやいろんな偶然が重なって、今の自分があります。

現場でのお仕事はいかがでしたか?


制作進行の仕事はハードでしたが、人に恵まれました。当時の上司が尊敬できるひとだった。彼に出会えていなかったら、今アニメ業界にいないんじゃないかなと思いますね。僕はガンダム最初のシリーズ、第8話の途中から制作進行として入ったんです。当時は4話ごとに担当が回ってきたのですが、先輩が辞めてしまい、第12話ではいきなりメインの制作進行になってしまいました。見よう見まねで無理やりこなしたけど大変だったなあ。当時はTVシリーズ一作品に対して制作進行はだいたい4人。原画マンも2、3人でやっていたんですよ。今だと考えられない人数ですよね。

予想外の大ヒット、劇場版ガンダムが人生を変えた

そこからプロデューサーを目指されたんですか?


いえ、僕は実は制作から演出に行くつもりでした。当時僕は「ザ・ウルトラマン」というウルトラマンのアニメの制作進行に関わっていたんですがとにかく大変で…。制作進行を離れて演出に行こうと思い始めていたんです。制作進行って、それぞれのパートの人を繋ぐ仕事なんです。アニメを作る全ての人と関わるので、現場を知るには一番良い仕事。アニメ制作を幅広く学べるのでそこからいろんな進路を目指す人がいます。脚本家になった人、演出・監督になった人、ときには作画にいく人も。そこで演出への転身を富野由悠季監督に相談したんですよ。そしたら「いや、お前、最低でも2年は制作として現場で学ばないといけないよ。」と諭された。でもよくよく聞いていたら「実はイデオンっていうアニメが始まるんだけどね…」って。つまりイデオンの制作進行をやってくれって話だったんですよね(笑)富野監督に言われちゃったら断れないから、当面は制作進行を続けることになりました。

目指していたわけではなかったんですね!ではどうやってプロデューサーになられたのでしょうか?


劇場版のガンダムを作ることになったのがきっかけですね。さっきガンダムの制作進行は4人だったって言いましたけど、僕以外の3人の進行とアシスタントプロデューサーだった上司がサンライズを辞めてしまったんです。つまり制作として現場でガンダムを知っている人が僕しかいなくなってしまった。そこで劇場版の制作進行は僕がやるしかないですよね。そうしたら予想外に驚異的なヒット作品になり、第二弾と第三弾の公開もすぐ決まりました。イベントにも映画館にも大勢の人が集まって大盛り上がり。前売り券は40万枚くらい売れましたよ。第一弾は3月に公開したんですが、第二弾は7月。今思うと良くやれたな…っていうスケジュールですね。第二弾の哀戦士編では、現場の仕切りをほぼ任せてもらい、初めてアシスタントプロデューサーという肩書きが付きました。現場を仕切れるのは僕しかいなかったし、こうなりゃガンダムが終わるまでは自分は制作でやろうと決意した。そしたら「第三弾は植田がプロデューサーでいいんじゃない?」という声が上がり、気付けば僕がプロデューサーになっていたんです(笑)

そんな流れで!トントン拍子に聞こえますが、おいくつのころでしょうか?


初めてプロデューサーをやったのは27歳ですね。制作進行を初めてから4年位でプロデューサーになりました。今だとありえないスピード感でしょうね。劇場版ガンダム人事ですね(笑)その後演出はどうする?と上司に聞かれたのですが、いやプロデューサーでいいですと答えました(笑)

そこからプロデューサーになられたんですね。アニメのプロデューサーとは実際にどんなことをされるのでしょうか?


プロデューサーは作品制作のトップ。作品を生むことから、セールスまで全ての責任を持ちます。現場では、予算管理、クオリティ管理、進行の把握を行いますし、テレビ局や、映画会社、今だと配信会社、商品化監修にも関わります。もちろん全てを一人ではできないので制作デスクや制作進行と手分けして行います。またテレビだと制作サイドだけでなく、、代理店にもそれぞれプロデューサーがいます。作品に関わる全てをまとめるので、大変ですがやりがいのある仕事ですよ。僕が初めて作品作りからプロデューサーとして関わったのはTVアニメ「銀河漂流バイファム」です。

これまでのキャリアの中で、たくさんの作品に関わっておられますが、印象に残ってる作品はありますか?


どの作品も印象に残ってますが、絞れば「ガンダムシリーズ」、「銀河漂流バイファム」、「シティーハンター」ですね。現場にいた頃の作品は、大変なことも多かったけど印象に残っていますね。ガンダムと出会えたから今があるし、ガンダムにはいろんなことを学ばせて貰いました。そしてバイファムでは、僕のやりたいことを全て詰め込めたなと思っています。ガンダムは妙にセリフが大人びてたりするじゃないですか。そんな表現が若い世代に支持されたのだと思うけど、次は子供が子供らしく生き生きとしていて、親子で見れるロボットアニメを作りたかったんです。ガンダムのTVシリーズと劇場版を作り、一通りやり切ったなって思いもありましたからね。バイファムを作っていたころのサンライズでは、メインの富野由悠季監督、高橋良輔監督も同時期に制作をしていました。僕等は注目をされていない3番目の制作ラインだったから、見返してやろうと思って神田監督以下スタッフ全員で頑張りましたよ(笑)

当初は志望していなかったアニメ業界。これまで続けられた原動力はなんだったのでしょうか。


なんで続けられたのかなあ、「若さゆえの過ち?」(笑)アニメどっぷりではなかったのが良かったんだと思います。最初は仕事としてアニメに向き合ってきた。冷静に、何をしたら観ている人が喜ぶかを考えてきました。アニメ以外の仕事も、アニメ以外の楽しみも知っていたのが良かったんじゃないかな。僕は運も良かった。気付いたら自分が上の立場に上がっていた。辛くて辞めたかったことは何度もありましたよ。3回も十二指腸潰瘍になりましたしね。でも目の前の仕事から逃げたくなかった。仲間がいたからその都度何とかやり切ってこれたんだと思います。ガンダムラストのアムロじゃないですが「僕には仲間がいるんだー」ってことでしょうか(笑)

辛かったことも多いんですね。


そうですね。とくに「ガンダム」は正直辛い思い出の方が多いかもしれません。ガンダムって、話も絵も複雑でしょう。作るのに時間がかかるけど、スケジュールもギャラも他のアニメと同じ。だから現場の進行は辛いわけですよ。原画マンからは、割に合わないなんて責められるしね。「劇場版 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編」は、3月に公開だったんですが、2月にトラブルが起こり、公開にこぎつけられるのだろうかと本当に切羽詰まりました。これは初めて話すんですけど、本当に辛くて自分が情けなくて仕上げ会社の社長の前で泣いたことがあります。仕事で泣いたのは後にも先にもあの一回だけだったかな。でもやっぱり映画が公開されてお客さまが喜んでくれている姿を見たらすべての苦労が吹き飛びました。当時の現場は本当に辛かったですが、ガンダムに社会人として、人間として成長させてもらいました。関わったスタッフ、ファンの方々それぞれにとっても大切な作品なっていれば嬉しいですね。

アニメ以外の世界を知ることは強みになる

今アニメ業界を目指す方にメッセージはありますか?


僕はよく、「アニメばっかり見てたら駄目になるぞ。」って言うんです。アニメ以外の世界を見なさいっていうことなんですけどね。いろんなことを経験しているのは自分の糧になります。自分の中の引き出しに、アニメ以外のものもたくさん詰め込んでおいてほしい。アニメ関係以外のネットワークを持っておくべきです。僕らの世代はアニメ以外の業界を経験してから来た人が結構多いんですよ。外を知っているのは僕らの強みだと感じてます。

そして次に期限を決めておくこと。アニメ業界が合わないと思ったら辞めてもいい。そして他の世界を見てまた戻ってきてもいいんですから。今の世代はアニメが好きでアニメ業界を目指す人が多いですよね。だから俯瞰して業界を見るのはなかなか難しいでしょう。しかしアニメをファンとして観るのとプロとして観るのは違います。今アニメ業界にいる人や、これから目指す人には、その違いを理解しておいて欲しいなと思いますね。自分が好きだからだけではなく、どうしたらお客さまが喜ぶかを常に考えなければいけません。

アニメも新しい技法が出てきています。長く業界を見られてきて現状をどう思いますか?


新しい技法が出てくるのは大歓迎です。ただ現状は作品ジャンルのバランスが悪くなっているように感じています。深夜帯のアニメが異常に増え、当たりやすい作品に内容が偏っているのでは。だから作り方も偏るし、働き方も偏って疲弊してしまう。もう少し多様性がなければいけないと思いますね。また、韓国や中国は、国をあげてコンテンツ産業を盛り上げようとしています。でも日本は国の支援が中途半端、ビジョンがない、個々で戦ってしまっている。全体の利益を考え、業界をまとめて先導できるビジョンメイカーが必要です。一気に業界をガラリと変えるのは難しい。でも制作現場、クリエーターこそが大事なのであって、現場からも声を上げて行かなきゃいけないですね。僕が関わっている「アニメ100周年プロジェクト」は100年後もアニメを楽しめる、生き生きとした現場がある、そんな世界になっていることを目指し、一年だけで終わらせず、継続していかなきゃいけない大事なプロジェクトだと思っています。

なので「FUN`S PROJECT COLLEGE」のような試みは大賛成です。

業界に長く携われて来た植田さんが、「この人は凄いな」と思う人はいますか?


やはり富野由悠季監督でしょう。75歳で丸々一本TVシリーズのコンテ描いて、今も現役バリバリなんですから。おかげで僕ら下の世代がなかなか引退できなくて困っちゃうよね(笑)もっといいものを作りたいとか、俺の方がいいものを作れるはずってずっと思っているんだろうなあ。ものづくりを突き詰める、あの方のエネルギーはすごいと思いますね。

若手でいうと、ユーフォーテーブルの近藤光さんですね。彼は制作プロデューサーの枠を越えて動ける人。僕も、作品作り以外の部分で作品のために何ができるかを常に考えて来ました。だから彼はどんな風に考えているのか非常に興味深いです。彼のようなプロデューサーが何人も出てくると、アニメ業界がさらにおもしろくなるだろうなと思います。彼は徳島出身なので、徳島をアニメ文化発信の拠点にしようとイベントを仕掛けたり、映画館を作るなど大活躍しています。そんな取り組みが、全都道府県で生まれてもいいですよね。僕ですか?僕がやるなら沖縄がいいですね。暖かいから(笑)

植田さんの今後の目標を教えてください


100歳までプロデューサーを続けたいですね。Facebookで宣言しちゃったんでやるしかない。体力気力を維持して頑張りたいです。あとはアニメ業界以外の人たちともっともっと仕事をしたいと思っています。ガンダムで育った人たちは、今40代50代。さまざまな業界で活躍している世代です。その人達が、それぞれ社内で狼煙をあげて、アニメ業界と一緒に仕事をしたいって声をかけてくれるんですよ。嬉しいですよね。アニメ業界で苦労を共にした仲間たちと、アニメ業界全体の未来に寄与できること、次の世代の子供たちのためにノウハウを伝えていくことも出来たらと思っています。

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