FUN'S PROJECT INTERVIEW


FUN'S PROJECT INTERVIEWではクリエイターの方々に独自インタビューを行い、未来のクリエイターの指針になるべく創作の原点や作品への思いを熱く語っていただきます。

#001 メカニックデザイナー 大河原邦男さん2018.02.08

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メカニックデザイナーの仕事は
良いデザインを描くことではありません。
大河原邦男が語る
メカニックデザイナーという職業

“メカニックデザイナーの仕事は良いデザインを描くことではありません。”
そう言い切るのは、アニメ業界においてメカニックデザイナーという職業を確立された大河原邦男さんです。 タツノコプロ入社から、メカニックデザイナーという職業を確立するまでにいたった経緯を語っていただきました。 デザインのアイデアを生み出すコツも伝授していただけるかも?

アニメ業界においてメカニックデザイナーという職業を確立された大河原さんですが、小さい頃から絵や作ることはお好きだったんでしょうか?


好きでしたね。メカニックデザイナーになった今思い返してみると、小学校四年生の図工の先生がきっかけをくれたのかも知れません。ユニークな先生でね、授業がとても面白かったんですよ。輪ゴムなど身近にあるもので動く人形を作ろうとか、アルミニウムの薄い板で小さなロケットを作って、飛んだらパラシュートが開くようにしてみようとか、当時は身近になかったレジンを使ってバッジを作ろうとか…今でも鮮明に覚えていますね。それが原体験だったようにも思います。絵を描くのも好きでした。でもね、とにかく細かく書き込んでしまうんです。色塗りで大苦戦してしまうような絵を描いていましたね。

母親に勧められて進学することになったのですが、勉強は好きじゃなかった。だから美術系に行こうと思いました。ちょうど東京造形大学ができるタイミングだったんです。一期生というのと試験の時期が早いのが魅力だったので入学しました。

学ばれたのはテキスタイルデザインだったんですよね。


手に職を付けられそうだし、ライバルも少なかったですからね(笑)当時はグラフィックデザインが流行っていた。だけど将来仕事にして食べて行けないだろうなと思った。プロダクトデザインは花形でしたけど、数学が苦手なのでできないかなぁとかいろいろ考えてね。特別、メカのデザインを学んだなんてことはありませんでしたね。

その後はアパレル企業を経てタツノコプロに入られましたね。


はい。タツノコプロに入社した当初は美術に配属されて背景担当でしたね。入社してすぐは、背景を描く練習をしていました。例えば空は、画用紙に水を張ってそこにスカイブルーと白のポスターカラーを置いてね、そのあと乾いた筆でぼかすんですよ。学生の頃は、ポスターカラーはベタ塗りするものだと思っていたから、ポスターカラーをぼかして使うことに驚きました。なんでポスターカラーで背景を描くかっていうと、ポスターカラーは安いからなんです。背景は使い捨て。だから原価をなるべく安くしたい。そんなことも、入社してから学んでいきましたね。

その後メカのデザインをされたきっかけはなんだったんですか?


最初に関わったのは「科学忍者隊ガッチャマン」ですね。まだタイトル名も決まっていない頃に、美術部長の中村光毅さんからデザインをちょっといじってみない?と言われたのがきっかけです。何で私に白羽の矢が立ったのかというと、他にメカを描ける人がいなかったから。たまたまだったと思います。当時の美術担当は本業がアーティストの人が多かった。みな生活費稼ぎのために背景を描いている人達ですから、メカは描きたくないんですよ。当時の美術スタッフは12〜13人いたのかな。その中で私だけがメカデザインをすることになりました。

メカニックデザイナーという職業は大河原さんが元祖ですよね。どうやってメカデザインを習得されたんでしょうか?


教えてくれる人もいませんでしたからアメリカの画集などを参考にしていましたね。あと参考にしたのは、松本零士さんの描く作品でしょうか。当時の数少ないメカが出てきたお話でした。中村さんに誘われ1976年にデザインオフィス・メカマンという会社を作り、本格的にメカのデザインに注力するようになりました。「ゴワッパー5 ゴーダム」からは私がメインでデザインを手掛けました。最初ゴーダムにはロボットが出てこなかったんです。団地に住む5人の子供の話だった。でも途中からスポンサーがロボットを出そうって言いだした(笑)無理やり話にロボを出したから、最初に出てきたロボ・ゴーダムは味方のロボットなんです。

メカデザインを
「仕事」で終わらせずに
「職業」にしたい

メカニックデザイナーとして生きていこうと思ったきっかけはありましたか?


いきなりメカデザインの仕事を次々に振られて2年間くらいはただ夢中でした。そうしたら徐々に仕事の依頼が途切れなくなってきたんです。サンライズの勇者シリーズは、9年間続きました。バリエーションに富んだデザインを続けるのは大変でしたが、シリーズが続くと生活の見通しも立っていく。その頃にずっとこの仕事で生きていこうと決めましたね。そして、「仕事」で終わらせずに「職業」にしたいとも思いました。私は社会人になってすぐに結婚したんです。だから妻と子供を食べさせていかなきゃという想いが常に念頭にありました。趣味でとか好きでという感情ではなく、手に職というような気持ちでメカニックデザインに向き合ってきたのだと思います。

メカニックデザイナーにとって
一番大切なこととは

メカニックデザイナーとはどのような職業なのでしょうか?


良く誤解されがちですが、メカニックデザイナーの仕事は良いデザインを描くことではありません。アニメに登場するメカの形を均一に定める仕事です。デザインの良し悪しはもちろん大事ですが、別問題。アニメーターがどの角度でどう描いても、メカの形が変わらないことが非常に重要なんです。アニメーターが独自の解釈をしてしまって、場面によってメカの描写が変わるといけませんよね。だから、オリジナルのアレンジを加えられないようにメカの形を確定させるんです。僕が重宝されたのは、絵と立体両方ができることです。デザインを起こすところからモックアップを作るところまで自分で行うので、実際におもちゃなどに商品化したときに自然になるんです。あとは、昔はおもちゃも今のように発達していませんでしたから、少ない動作でガラッと変身できるかとか、子供が触っても安全かとかも意識してデザインを起こしていましたね。

そこまで考えられてデザインされるんですね!どの段階でデザインは思いつくのでしょうか?


基本的には最初の打ち合わせで、作品の構想を聞いた時点で頭の中でデザインが完成しています。そこからブレることはないですよ。デザインに起こしても立体に起こしても、だいたい最初の構想通りになります。モックアップはレゴで作る人なんかもいますけど、僕は結構作り込んでしまいますね。つい凝ってしまいます。

打ち合わせの段階で!アイデアが出てこなくて悩むことなどはないんですか?


ありませんね。僕は悩む前にすぐ描いちゃうんです。〆切の前日にはもう仕上がっているしね。力を抜いて取り組んでいたらアイデアはいくらでも出ますよ。煮詰まったりもしないですね、適当だからかな(笑)

アイデアをどんどん出すコツはありますか?


考えすぎないことでしょうか。これくらいでいいかななんてすぐ仕上げちゃうんです(笑)皆難しく考えちゃうけど、身の回りのモノをメカに置き換えて描くのは簡単ですよ。その訓練から始めたら誰でもできるようになると思いますよ。例えば犬をロボにしようと思ったら、まずはプリミティブな形に分割していくんです。胴は円柱で、頭は球体、頭と胴の間を円柱で繋ぎ、そこに耳を付けて…といった手順で。そうしたらすぐロボになりますよ。

普段から身近なものをロボにデザインしてみたりするんですか?


仕事じゃないとしませんよ(笑)以前天野喜孝さんに「大河原さん、仕事の絵と趣味の絵を分けないとダメだよ」って言われたことがあるんですけど、僕は趣味の絵ってないんですよ。絵を描くのは仕事の依頼が来たときだけ。仕事を始めたころから妻と子供を食べさせないといけないって思っていたし、逆を言うとそこだけなんです。私はお声がけいただいた仕事は基本的には断らない。好き嫌いで仕事を決めたこともないですね。一枚いくらで描き終わった瞬間にその仕事は完結していると思っているんです。ちょっとは負け惜しみもありますけど、ロイヤリティが入ってこなくてよかったなと思います。たくさんお金が入って来ていたら、その後もう描けなかったでしょうから(笑)

今でも精力的にお仕事をされていますね。


私の事務所では常に数本のプロジェクトが走っていますね。最近手掛けたのは過去の作品の画集やミュージックボックスの表紙など。その他にも秋田の鳥獣被害対策のロボットのデザインや、警視庁の案件なんかもあります。意外なところからお声がけいただく案件は楽しいですよ。

仕事で分からないことがでてきたら、今でも勉強されるんでしょうか?


私は新しいモノ好きなので、色々と試しますよ。3DのCGは10年前くらいから試していたんですよ。デザインにまつわる新しいプロダクトが出てきたらすぐ使って試してみたくなりますしね。今は、写真を金属に刻印する機械やUVプリンターを使ってみたいなと思っているんです。

デザインには、
仕事としてだけ向き合い続ける

長くメカニックデザインを続けて来られていますが、ここまでやってこられた理由を教えてください。


仕事だと割り切って向き合っていたのが良かったように思いますね。ロボやメカが好きな人は、とことんやりこんじゃう。メカの専門家に成りすぎてしまうと、今度はデサイン性が損なわれてしまいます。また自分で自分の作品に納得ができなくて時間がかかってしまったりね。子どもたちが求めているのは、完璧に精緻に作られたメカではなく、ワクワクするもの。メカへの知識だけを突き詰めてもアニメに求められるデザインはできません。求められているモノを〆切内で作る。そんな風に仕事として向き合って来たから今がある気がしますね。

ザクとハロを作ったことは、
私がした一番の社会貢献

今までのお仕事で嬉しかったことはありますか?


今までの仕事で一番社会に貢献できたなって思うことは、ザクとハロを作ったことだね。やってよかったなって思いますよ。今はもう慣れちゃったけど、昔は商品化されたおもちゃ見たときは感動しました。喜んでいる子供を見たら嬉しかったですしね。

今後のアニメ業界をどうお考えでしょうか?


最近では中国などからメカニックデザインの仕事が来ることもあります。ASEANの人たちは同じ感性で同じことに共感できるのではと感じています。海外に発信をし続け、今後アジア初の社会現象になるようなアニメが出てきて欲しいなと思いますね。日本のアニメは世界中で愛されています。例えばイタリアの人はロボットが大好きだし、アニメの制作会社に日本のアニメ好きのフランス人スタッフがいたり。ですが、有名なのはいつも同じタイトルなんですよね。常に新しい素晴らしい作品が出るようになって欲しいね。そうじゃないと、あの頃の日本のアニメはすごかったねで終わっちゃいますから。今はいろいろな表現技法がありますけど、逆に制約も増えて窮屈になってしまっているかも知れませんね。もっとのびのびやればいいんじゃないでしょうか。

今後の目標はありますか?


最近は海外も含め様々な案件に声を掛けて貰えることが多いんですよ。ガンダムなどのアニメで育った40代50代の世代と一緒に仕事できるのは嬉しいですね。声を掛けて貰えるなら海外の案件も含めいろいろとやりたいですし、今も新しい目標を探しています。

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